クスノキのエッセンシャルオイルが人気

久しぶりのマダガスカル。ムラマンガという地方の町である苗畑を訪ねました。個人で運営されているこの苗畑には、クスノキがある、と聞いたからです。

苗畑のクスノキ

最近村の人たちが「クスノキを植えたい」とよく言います。理由は、クスノキがエッセンシャルオイルの原料になり、高く売れる可能性があるから。

クスノキはもちろんマダガスカル原産ではなく、日本や中国にある木ですから、マダガスカルでは植栽された限られた数の木しかありません。ですから、村人に紹介しようにも種や苗木が簡単には手に入らないのです。

この苗畑のオーナーは、自分でクスノキの種を取ってきてクスノキの苗木を生産していますが、他に譲るだけの種の量は確保できないとのこと。苗木なら売ってくれるそうですが、それが彼の商売ですから、まあ当然ですね。

でもかねてからの疑問を尋ねてみました。
「いったい農民はどうやってクスノキを売るんですか?」

明確な回答は返ってきません。どうやら彼も、誰がどのようにクスノキを買ってくれるのかは知らない様子。つまり、「売れる」という情報が先行していて住民が興味を持っているけど、具体的な取引はまだこの地方では行われていない、というところなのでしょう。

マダガスカルの首都、アンタナナリボまで行けば買ってくれるところがあるのかもしれませんが、もう少し調べてみる必要がありそうです。

僕らの対象地域では、かつてJICAの協力が行われていた頃に「ジャトロファが良い」と日本人が言っていたそうで、「木を植えればジャトロファの種を買ってくれると日本人が言っていたが、お前たちがそうか?」と聞かれたことがあります。

コーヒーは育たない?

マダガスカルのコーヒー

マダガスカルにはコーヒーを飲む習慣があります。多分旧フランス植民地だったせいでしょうか。苦いコーヒーにたっぷりの砂糖や練乳を入れて甘くして飲むのがマダガスカル風。

さて、今仕事で入っている地方は「コーヒー栽培には向かない」と専門家が言っていたそうです。ところが、村回りをしていると、確かにコーヒープランテーションのようなものは皆無ですが、数本のコーヒーの木が植えられていたり、僅かばかりのコーヒー豆が村の中で売られていたりします。

写真のコーヒーの木もある庭先で見つけたもの。びっしりと実を付けています。

「専門家がコーヒーに向いていないと言ったじゃないの?」

と思うわけですが、専門家の言うことが必ずしも間違っているわけでもなく、またすべて正しいわけでもありません。

例えば、輸出できるようなクオリティーの高いコーヒーがまとまった量この地域で生産できるか?と考えたら、専門家の言っていることが正しく「難しい」が答えかもしれません。

でも、農家が自家消費用や近所あるいはせいぜいが近くの町のマーケットくらいで売るくらいの質・量のコーヒーができないか、と言ったら、多分できるはず。

地場産業としてのコーヒーの育成は難しくても、個々の農家が多少の収入を得るためのコーヒー栽培なら十分可能かもしれません。

専門家と話をする時には、どのような視点に立っているかをチェックする必要があります。専門教育を受けた人は、どうしても量や質に不必要に高いものを求めがちです。

米ぬかの使い道は?

マダガスカルの米ぬか販売

ムララノクロムの木曜市で精米した後の米ぬかを売っている二人の若い女性。聞いてみたら、同じ家族だそうですから、姉妹でしょうか。彼女たちの前におかれている大きな袋に入っている米ぬかは、右と左で色が違いますから、これも確認してみると、コメの品種が違う、ということ。これで複数の品種を栽培している農家があることがわかります。

さて、ではコメぬかを何のために売っているのか?ぬか漬けを作る?そんな習慣はマダガスカルにはありません。袋に入れて顔をこする…今の日本のお年寄り世代なら記憶があるかもしれませんが、そのような使い方もマダガスカルにはないようです。

彼女らが売っているぬかは、基本的には家畜や家禽の飼料、場合によっては養魚池にまく餌になるようです。農家で聞いてみると、豚や鶏、ガチョウなどには糠を与えている様子。自分の田んぼからの供給量で不足する場合には、飼料を買って来て与えています。

特に豚は成長が早く、子豚を購入してきて肥育すると3ヶ月あまりで80キロから100キロに育ちます。農家にとっては非常に利回りの良いビジネスですから、子豚の代金を払い、餌代にも投資をします。

ただし、ここで買われている豚はどうやら改良品種で、生産性が高い代わりに病気などに弱く、昨年も多くの村で豚が全滅したそうです。

マダガスカルの薪

マダガスカルの薪

マダガスカルのある貧しい農村の、ある家の前に置いてあった薪。事情を知らない人が見たら「この村にはいい薪があるじゃないか」と思ってしまうかもしれません。

この薪はマツ材ですが、マツはこの村から歩いて行ける範囲にはほとんど植えられていません。実を言うとこのマツは、自転車で数時間かかるところにある製材所へ、この家の人が自転車を漕いて行って、端材を拾ってきたものです。

一番上に置かれている4本の薪、これで100アリアリ(4円)で村の中で売られています。この村の近所にはまとまった林がなく、村の人たちは薪の確保に苦労しています。そこで、この家の人は薪の販売に目を付け、遠くまで薪を取りに行くために、多分無理をして自転車を手に入れました。

なぜ「多分無理をして」なのかと言うと、この家の作りが、村の中でもかなりみすぼらしい状態にあったからです。つまり、収入の道があまりない家庭、貧困家庭の可能性が高い、ということです。

山奥で薪が豊富にとれる例外的な村を除き、水田近くに集中して人々が暮らすマダガスカルでは、薪の供給が大きな問題になっています。

調べた村の中には、毎日数時間かけて薪とりをしているという家庭も多く、また、逆に、薪を売って生計を立てている人たちも数多くいます。

「この村になぜこんな立派な薪があるのだろう?」と疑問を持つ所から、村の人々の生活に関する多くのサジェスチョンを得ることができます。

マーケットの野菜売り

この写真はマダガスカル、ムララノクロムのマーケット内で野菜を売っている女性。農村地帯の中にある小さな町の市ですし、周辺の農家で聞くと「ムララノクロムの木曜市で生産物を売る」と答える人が非常に多いので、農家が持ってきた野菜を直接売る場所かと思っていました。

ムララノクロム市場の野菜売り

ここで、野菜を売っている女性に聞いてみると、どうも農家の人たちが売っているとは限らないことが明らかになってきました。もちろん、農家の人が直接売っているケースも多々ある一方で、この女性は販売に特化したベンダーで、農家から野菜を仕入れています。

野菜は農協が供給してくれるわけでもなく、また農家を回って仕入れるわけでもなく、どうやら市の日の早朝に農家が自分で作った野菜を持って来るのを、まとめて買い取り、それを小分けにして小売する、という商売のようです。

農家にしてみれば、多少売値は安くなるかもしれませんが、一日中市場にいる必要はなく、また、売れ残る心配もありません。早朝にまとめて代金を払ってもらえれば、自分が市場で必要なものをすぐに購入して帰ることができます。

農村開発の仕事をしている人の中には、小売商や卸商が農家からまとめ買いをしているのを見て「安く買いたたいている」「搾取している」と思い込んでいる人も結構います。もちろん、圧倒的な市場支配力があればそのようなこともおきますが、多くのケースでは、農家も小売商も win-win の関係になっています。

まとめて売ることができれば農家は自分で売るための時間を節約できます。現金を一括して手に入れることができます。売れ残りのリスクは農家ではなく、商品を買い取った業者がひきうけてくれます。

卸商や小売商は、まず現金を用意しなくてはいけないこと、売れ残りのリスクを自分が背負うこと、流通コストや市場の場所代を負担しなければいけないことなどと引き換えに、自分一人では精算できないくらいの量の産品を取引することにより、まとまった量の利益を得るチャンスを得ます。

市場価格と生産者価格との差を、全て農家の取り分にすれば…という考え方は、必ずしも合理的とは言えません。

ハヤトウリの売り方2種類

ハヤトウリ

今日マーケットで見かけた商品の一つが南米原産のハヤトウリですが、面白い売り方がされていました。

ある女の子が売っていたハヤトウリは、右側の山が5個で400アリアリ。もう一方は、1個で300アリアリ。

違いは、300アリアリの方は既に芽が出ており、苗として販売されている点。

「他のも芽が出るまで待てばもっと利益が出るんじゃ?」と聞いたら、「キャッシュがいるからみんな待つわけにはいかない」そうです。

生活全般にキャッシュフローが悪く、販売価格が安くてもとりあえず現金化しなくてはならない、という生活ぶりがここでもうかがえます。多くの農家はどこでもコメがとれてコメの販売価格が安い時に売り、食糧不足になってコメの価格が高い時に買い戻す、ということをやっていますが、同じ理由です。

やはり、現金収入を改善するオプションを考えないといけませんね。多額ではなくても良いので、収入をできるだけ平準化し、常にキャッシュフローが確保できるような形(つまり、給与所得者みたいなもの)に多少なりとも近づけるのが重要です。

村の中のキオスク

村の中のキオスク

これはある貧しい村の中にあったキオスク?とも呼べないくらい小さなお店。売っているのはバナナとかオレンジとか、ばら売りですし、しかも周辺にあるものばかり。

実を言うとマダガスカルでも他の国でも、地域差はあるものの、村の中での売買や雇用による現金のやり取りは結構あるものなのです。

これなら、消費者のニーズもバッチリわかりますし、売り手も遠くまで出かけたり、外部の市場に合わせて加工に手間をかけたりする必要がありません。

国際協力では、いきなり首都の市場とか海外市場を村人に狙わせるような指導をするところもありますが、まずは村内とか、あるいは周辺村や近場のマーケットなど、住民が身近に想像できる範囲で考える方が早道のように思います。

洗濯ものの花

洗濯もの

草の上に干された数多くの洗濯もの。ほほえましい風景…かもしれませんが、ここには村人、特に女性の苦労も隠されています。

どうやらこの洗濯物は山の上の村の人たちのもの。山の上には水場がなく、飲料水を汲むのも片道15分山を降りたところの井戸まで来る必要があるそうです。

大量の水を必要とする洗濯は、川などでするようですが、濡れたままの洗濯ものを山の上の村へ持って帰るのは重くて大変。そこで山の下で乾かしてから、となるようで、この草地に洗濯ものの花が開くこととなった様子。

多分複数の家庭がここで洗濯物を干しているのでしょうね。

マダガスカルの牛

マダガスカルのこの辺りで一般的に飼育されているのはゼブ牛と呼ばれるコブウシ。角も比較的大きめで、この間後ろから歩いてきた牛に背負っていたリュックを突かれました。リュックがなかったら結構痛かったかも。

マダガスカルのゼブ牛

このゼブ牛、飼われている目的は農業などで、いわゆる役畜として使うのが目的です。

その中でも特に農民が重視しているのが牛糞。写真の奥の方に山になっている牛糞が見えますが、多くの農家にとってはこれが唯一の田畑に使う肥料になります。

この牛は柵の中でトウモロコシの皮を貰っていますが、実際には多くの村で牛を放牧しています。放牧はコメが育っていない時には田んぼの周辺でも行われますが、それ以外の時期も含め、多くの期間は山地で放牧され、痩せた草を食んでいます。

マダガスカルには森がなくなった禿山が多いのですが、その原因の大きな一つが牛の放牧です。と言うか、「山には木があるもの」という日本人の感覚とは違い、彼らの土地利用区分では、基本的に「山は放牧地」なのです。山でも集落に近いところには山畑もありますが、大部分は放牧地か、「管理されない土地」となっています。

山で草をはんだ牛は糞を出し、それが田畑の肥料になります。また、牛車(カート)をひいている牛も良く見かけます。

つまり、山の草が農民にとってはエネルギー源であり、肥料の元となるわけで、ガソリンや化学肥料に頼る我々にとっての石油みたいなものですね。

だから「山に木を植えよう」は、実はさほど容易ではないわけです。

パイナップルとキャッサバのインタークロッピング

インタークロッピング

この写真は、マダガスカルのある村で見かけた農法。ほぼ等高線に沿う形で深めの溝を掘り、土を畝にあげてそこにキャッサバを植えてあります。特に誰に教わったわけでもなく、自分で工夫してやっている様子。

雨季乾季のはっきりしている地域ですから、湿気を好むパイナップルを水の貯まる溝の中に植え、乾く畝には乾燥に強いキャッサバという組み合わせ。

奥に見えている家のようなものはお墓です。この墓は個人のものではなく、一族のもの。血縁関係を表すのに「同じ墓に入る人」という定義があるそうです。